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堀2

DAY43-2 滋賀県は東近江市・五個荘金堂と、近江八幡市・八幡。「三方良し」近江商人の里を歩く


2014年の夏、特に西日本においてはとにかく雨が多かった。そしてこの日は台風である。美濃市美濃町から滋賀県(近江)に走るにつれ、風雨はさらに激しくなっていく。

豪商ひしめく農村集落、東近江市・五個荘金堂

そんな天気の中立ち寄ったのが、東近江市の五個荘金堂(ごかしょうこんどう)。琵琶湖畔に位置するこの町は、1998年12月25日(クリスマス!)に農村集落として重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)指定を受けている。

田園風景

高速を降りて、五個荘金堂へ向かう。確かに道中は農村集落らしい田園風景が広がっている。

水田と立派な家

ところどころに、立派な家が並ぶ。水田風景のどまんなかに、突然豪壮な家屋や社寺が現れ、重伝建エリアに突入。水田と林、伝統的家屋が美しい。分厚い雲のせいで薄暗いけれど、天気さえ良ければ、歩くのにはとても良いところだったのではないか。

航空写真

Wikipedia掲載の航空写真では、水田の真ん中に建物が立ち並ぶ様子がよく分かる。ここ、五個荘金堂はあの「近江商人」発祥の地であるということだが、なぜさほど特徴のない(素人にはそう見える)この地から、世界を股にかけて活躍する商人たちが続々と生まれてきたのだろうか。

なぜ東近江市・五個荘金堂から近江商人が生まれたのか

一般的に言われている近江商人の期限としては、(1)この地が水害が多く、米作りに適さない土地であったこと、(2)近隣で近江布が作られていたこと、があげられることが多い。そんな土地だったので、藩としても農閑期に他国に出て副業に勤しむことを奨励したらしい。

結果、次々に天秤棒をかついで編笠や木綿、絹糸・生糸などを全国で売りまくった。さらには現地産品を担いで別の場所で売るなど、もはや農閑期の副業どころではない商売っぷりで、出張先でも喜ばれたそうな。

農閑期に地縁も血縁もない他国(近江国以外)へ出かけて行って、商売をしまくる。けっこうさみしいものだし、あんまり儲かりすぎれば妬み嫉みを買いまくりそうである。実際に、商才がありすぎて江戸っ子から妬まれ、伊勢商人とともに「近江泥棒伊勢乞食」と罵倒されることもあったという。

そんな苦労を経て、現地の人達とうまくやっていく「三方よし」、つまり、売り手よし・買い手よし・世間よしという思想が生まれていったのではないか。なお、そもそもこの地域は仏教信仰が盛んで(実際に社寺が多い)、規律や道徳を重んじる傾向があったとも言われている。

実際に豪商となった近江商人は、私財を社寺に寄進したり、地域の公共事業に投じることも多かったという。渋沢栄一の「論語と算盤」、現在の企業と「社会貢献」のご先祖のような趣がある。

近江商人屋敷、中江準五郎邸

こちらは、有料で開放されている中江邸。先も見えぬ豪雨の中、びしょ濡れになりながら門にたどりついたがあえなく時間切れ閉館。なのでその概要を以下に引用しておく。

中江

昭和初期、朝鮮半島や中国で三中井百貨店を築いた中江家4兄弟の末弟の準五郎の本宅。明治38年(1905)、朝鮮大邱に三中井呉服店を創業し、昭和9年(1934)に株式会社三中井百貨店となる。戦前まで、本宅を金堂に置き、朝鮮半島・中国で約20店舗を経営した。蔵の中には五個荘が生んだ郷土玩具・小幡人形と全国の土人形を多数展示紹介している。
五個荘ぶらり

大きな家

狭い道の両側に、立派な家が並ぶ。まったく観光地化しておらず、気楽な感じがよい。ぜひ天気の良い日中に訪ねてみたいところ。もうかなり日が暮れつつあるけれど、近江八幡へ。

もうひとつの近江商人の里・近江八幡

近江八幡に着いた頃、少し雨が弱まった。日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)周辺に駐車して、街歩きを開始。ここ、近江八幡市八幡は、1991年4月30日に商家町として重伝建指定を受けている。

日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

観光地でもある八幡宮やロープウェー(?)の周りから、少し歩いたところに重伝建地区が位置している。

近江八幡地図

地図で言えば、日牟禮八幡宮の門前にあたるようなエリアが重伝建。

堀

お堀の周りもよい雰囲気だ。ここもできれば天気の良い時に来たかった・・・

堀2

堀の周りも、ぐるっと歩けるようになっている。こちらは五個荘金堂とは異なり、それなりに観光地っぽい。カフェや博物館?的なものもあった。

重伝建近江八幡

この重伝建の見どころは、永原町通りと新町通り。近江商人は日本各地(戦前は東アジアにも)に積極的に出店したが、本宅は故郷である近江八幡に構えた。

この通りには、歯抜けになることもなく彼らの見事な邸宅が並んでいる。質実剛健な近江商人の性質が現れているのか、写真の通り、成金趣味的なところもなく簡素で美しい。私たちがかつて住んでいた渋谷区某所とは一味ちがう。社会よしを考える近江商人は、建物の外観は公共物であると考えていたのだろうか。

重伝建近江八幡

重伝建の中には「町並み博物館化」しているも少なくない。もうちょっと荒っぽい表現をすると、「かつての栄光」みたいなオーラが漂っている場所が多い。しかし近江八幡は、圧倒的に「まだ住まわれている住居」が多く、当然ながらとてもきれいに手入れされている。この地で生まれた近江商人は、企業の名こそ現代風になっているものの、現役なのだ。

ちなみに彼らは「火事になるリスクが心配だ」として、明治時代に東海道本線・近江八幡駅の建設に反対したらしい。結果として、車でないと訪問しにくい立地になってしまったのだが、同時に古き良き景観が保存されたとも言える。

これまた私の故郷にほど近い小京都(同様に鉄道敷設に反対し、そのまま寂れた)とはえらい違いである。が、そこは豪商がたくさんいたところではないから、比較するのは酷であろう。

青い目の近江商人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

近江八幡においては、「青い目の近江商人」と呼ばれたアメリカ人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズに言及せねばならない。

ヴォーリズと少女

ヴォーリズと少女

日本中で広く知られた人物とはいえないだろうが、彼の名を知らないとしても、ほとんどの人が多少なりとも彼の設立した会社「近江兄弟社」あるいは「メンターム(メンソレータム)」といえば、知っているに違いない。

メンターム

ヴォーリズが近江八幡に与えた影響は大きい。「当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学した」という苦労人・ヴォーリズは、滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)英語教師として来日。1908年のことである。

相当はりきっていたのであろう、着任早々彼は、基督教青年会館を建設して聖書の教えを広め始めたため、まちの人々から総スカンをくらったらしい。事実、彼はほどなくして教師をやめさせられている。

しかしながら、彼は信仰の人である。その程度で諦めることはない。教師を辞めた(辞めさせられた)後には、建築事務所を設立して日本各地で数多くの西洋建築(ほとんど協会)を手がけている。ちなみに明治学院(現・明治学院大学)も彼の設計であり、自身の結婚式もここで挙げている。

さらに近江兄弟社を立ち上げ、キリスト教の精神に基づき「メンターム」など皮膚薬、そして近江療養院などの病院や学校経営に取り組んだ。というわけで、「近江兄弟社」の兄弟は、兄弟で設立したという意味ではなく、「人類みな兄弟」の兄弟である。

メンタームとメンソレータムはなぜ似ているのか

もう話が重伝建から飛びまくっているが、調べたことを書き記しておく。近江兄弟社のメンタームをみてまず思うのは、「あれ、メンソレータム?メンターム?なんかすごくよく似てない??」ということである。ほとんど意識せずに使っていて、この白地に緑のデザインのリップクリームがなんという名前なのか知らない場合も多いだろう。「緑のあのリップ」みたいな。

メンタームとメンソレータム

写真:ものコレ!

この部分は、wikipediaで素晴らしい解説を記載しているので、最後に引用しておく。ようやく謎がとけました、ありがとうWikipedia。(こ)

近江兄弟社の以前の主力商品は、メンタームではなくメンソレータムであった。メンソレータムは、アメリカ合衆国の「メンソレータム社」の製品であり、近江兄弟社が日本国内の販売権を持ち日本国内向けに販売、その後、製造も手がけるようになった。しかし、創業者のヴォーリズの亡きあと、経営が苦しくなり、自主再建を断念し、1974年12月24日に近江兄弟社は倒産し、メンソレータムの販売権も返上した(その後、翌年の1975年にメンソレータムの販売権はロート製薬が取得、さらに1988年にはメンソレータム社本体もロート製薬に買収された)。

近江兄弟社は、その後大鵬薬品工業(現在は東証1部上場企業で大塚HDの傘下)の資本参加で再興をはかったが、その時にはもうメンソレータムの商品名を使うことができなくなっていた。そのため、メンソレータムの製造設備を利用してオリジナルの類似製品を販売するにあたり、メンソレータムの略称として従前より商標登録してあった「メンターム」を商品名として用いることとした(メンタームの商標は1965年7月27日に出願され、1967年10月3日付で登録(第757274号)されている)。この「メンターム」を、自社の主力ブランドとして育て、今に至っている。Wikipedia 近江兄弟社


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