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DAY75 しまなみ海道・能島村上水軍の足跡をめぐる水軍博物館と宮窪瀬戸の潮流体験


サイクリングの聖地・しまなみ海道を自動車でゆく

四国は愛媛、タオル生産で有名な今治(いまばり)と、風光明媚で知られる広島県・尾道(おのみち)をつなぐ「しまなみ海道」。

しまなみ海道キャプチャ

正式名称・西瀬戸自動車道が縦貫しているその間には、無数の島がある。大きめの島だけであげても、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島。全長70キロのしまなみ海道は、橋より道路部分のほうが長い。さらに海道の周囲には、弓削島、生名島、岩城島(あわせて上島町を形成)など島だらけとなっており、とにかく入り組んだ海域となっている。

※ちなみに伯方島はあの「は・か・た・の・しお!!」で有名な伯方の塩の工場があるところ。

というわけで、水運が高速道路の役割を果たしていた時代、この地域は交通の要所であった。そこで大活躍していたのが、昨今和田竜氏の書籍『村上海賊の娘』などで注目されている「村上水軍」である。九鬼水軍、北条水軍など、有名な水軍数あれど、およそ村上水軍ほどに有名な水軍はないだろう。ということで、簡単に村上水軍とは何者で、何をしていたのかをまとめておく。

しまなみ海道サイクリング
美しい村連合・愛媛県上島町 しまなみ海道の隠れ名所には隠れたおいしいものと驚きの祭があった(coinaca)

瀬戸内海の覇者、村上水軍(村上海賊)

村上水軍がいつ成立したのかは、実ははっきりしていない。存在がはっきりしている最古の文献は、1349年で、能島村上氏が、弓削庄で海上警護を請け負っていたという記録だという。能島村上氏といったが、村上水軍は3グループに分かれており、それぞれ拠点の名前をとって能島村上氏、因島村上氏、来島村上氏と称していた。それぞれ平安時代までさかのぼる独自の系譜を持っているものの、もとは同じ一族だっただろう。

実際に、保元の乱(1156、源平入り乱れての争乱)により塩飽諸島に流れてきた河内源氏の信濃村上氏が、平治の乱(1160、また争乱、平清盛が権力を確立)によって大島に移って伊予村上氏の祖となったという説がある。

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<大島の北に位置する能島。ちっちゃい島である>

室町時代には、因島・弓削島を中心に瀬戸内海の制海権を握っていたそうで、「ここを通るなら、通行料払えよ!」と海上通行料を徴収したり、「無事に通り過ぎたきゃ守ってやる」と、海上警護を担ったりしていたらしい。つまり今でいう反社会性力のようなもの、夢のある表現をすれば「海賊」である。

そんなやりたい放題の村上水軍も、戦国時代が到来するとより強大な勢力に臣従するようになった。因島村上氏は毛利氏に、来島村上氏は河野氏に。能島村上氏だけは、最期まで独立を保った。その後、毛利水軍の一翼を担って中国平定に貢献するが、1588年に覇者・豊臣秀吉が海賊停止令を出すと、海賊活動を停止した。以降の村上水軍は、能島・因島村上氏は長州藩の船手組へ組み入れられ、来島村上氏は海のない豊後の国(大分)の山間部に追いやられた。能島・因島村上については、毛利との縁が切れていないのが興味深い。

ちょっとした村上水軍オタクになれそうな「村上水軍資料館」と、圧巻のく

ちょっと細かく書きすぎたけれど、それほどに瀬戸内海を理解する上で、村上水軍を知ることは重要だ。もっと深めたいという方は、ぜひ「村上水軍博物館」を訪問していただきたい。まずはここで事前情報を収集し、その後、博物館眼の前からでているフェリークルーズに出発すれば、しまなみゾーンがいかに通行者にとってタフな場所だったか、そして村上水軍の操船技術が優れたものだったのかが体感できる。

村上水軍博物館

過所旗

博物館の見どころは、村上水軍の過所旗(通行許可証)である。村上の「上」だと思うが、なんとも可愛らしい感じ。(写真は博物館スタッフブログより)。比較的新しい博物館らしく、きれいに分かりやすくまとめてあるので、足をのばしては。

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潮流体験より

さて、能島水軍潮流体験である。潮流なので、体験できるタイミングは日によって異なる。なので、まずはここを訪れて、隙間時間に博物館になかでも、能島の周囲は最大10ノット(時速約18km)にもなる潮流が渦巻き、時には船を呑み込んでしまうほどです。行くというのがよいだろう。

能島の周囲は最大10ノット(時速約18km)にもなる潮流が渦巻き、時には船を呑み込んでしまうほどです。
(潮流体験)

ということだが、どれほどそれがすごいのかは、素人である僕らにはさっぱりわからない。

僕らはお腹が空いていたので、海賊料理的なものをそこで食べた。まぁ普通のバーベキューである。

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団体客向け感のやっつけ感がなくはない。できれば、伝説の村上水軍・水軍料理を出したらよいと思うのけれど。wikipediaによると、村上水軍は船上で採りたての魚介類を以下のように食べていたという。

水軍鍋 – 魚介類と野菜を出汁で炊きあげた鍋料理。
法楽焼 – 素焼きの法楽焼上に小石を並べて、魚介類を盛って焼く料理。(村上水軍の戦勝祝いの料理)
舟盛り – 魚介のお造りを和船をかたどった器に盛りつけたもの。
Wikipedia

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スタート直後の海。確かに波が早そうだ!が、これはまだまだ序の口であった。

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中盤からどんどん激しいところに突っ込む船。ここなどまるで川のようである。というか、島々が近しい距離で点在しているがゆえに、その間が潮流で荒ぶる河川のようになってしまう、というのがこのゾーンの特徴のようだ。

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複雑な潮流。船頭さんは村上水軍さながらに渦潮に乗り込んでエンジンを切って、潮のなすがままになってしまう船を体験させてくれる。時々周りから「キャー」っという乗客の歓声が聞こえる。

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エンジンが付いている丈夫な船にのっている現代人は「キャー」くらいですむものの、帆とオールで操船していた村上水軍はいったいどうやってこの海を行き来していたのか。難破必須だし、こんなところに突き落とされたら、ぜったいに岸まではおよぎつけまい。

もちろん、潮流が穏やかなタイミングを見計らっていただろうとは思うのだが、彼らの技術はさぞ貴重なものだったろうと思う次第である。

瀬戸内海しまなみ海道 宮窪潮流体験 村上水軍を訪ねて

潮流のすごさは船にのって体験してみたいとわからないけれど、写真よりは動画のほうがイメージがわくかも。

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船からみる能島。石垣の遺構がちらっとみえる。ここを発掘すると、ずいぶん高価な陶磁器やらがざくざく出てくるそうだ。小さいながら、やはり海賊の本拠地である。

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しまなみ海道は実に美しく、みどころたくさん。晴れた日にみかんジュースを片手にふらっとよってみるといいかも。

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潮流体験(営業日、料金、体験時間などはこちらから)


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