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果無集落2

DAY49 美しい村連合・奈良県十津川村:東京23区の面積を誇る紀伊山地の大秘境を駆け巡る


日本で最も美しい村連合の一つ、秘境、十津川村(とつかわむら)。人口約4,100人(2010国調)、村としては日本一大きな面積を誇る(除、北方領土)。東京23区よりも広大なその土地は、地図上で見ても、奈良県の1/4くらいはありそうだ。

十津川wiki地図(出典:wikipedia ↑黄色が十津川村)


谷瀬のつり橋
村内の山の数、なんと100以上。ただただ、その山の深さに驚くばかり。その山々の谷間を縫って、ぐねぐねと村の中央を流れる十津川。この村では、ずっと道の横に、の十津川が見える。というより、十津川沿いにへばりつくように道がつくられた、といったほうがしっくりくるだろうか。

十津川観光マップ(出典:十津川村観光協会

十津川では見所のひとつひとつが非常に遠いので、無駄のないように回りたい。私たちは北側(地図上部)から村に入ったので、まず谷瀬の吊り橋(たにせ/たにぜ)へ。

この吊り橋は、地区の人の出資によってつくられた橋で、日本最長の生活用の橋とされている。初任給が平均7,800円だった時代に、地区の人が20~30万円ずつ(月収の約30倍!)出し合ってつくった橋だったとか。こんな所に橋を架けるなんて、相当なご苦労があったことだろう…と思うけれど、十津川は意外と山と山が近いため、吊り橋がかけやすい地形らしい。この他にも小さなものがたくさん架けられているとか。という話は後ほど訪問した神谷さんにお聞きした。

谷瀬の吊り橋

ひょえ〜っ!!!写真でみればそうでもないけれど、この橋、相当心もとない。置いてある板の隙間から、54メートル下の濁流は見えるし、その板を支える部分も朽ちかけた木の棒。歩く度に揺れまくる。運の悪い誰かが、今にもズボーッと踏みしだいて、川の泡と帰してしまうのではないかと不安になる。寿命が3分は縮んだ。8月にはこの橋の上にずらりと和太鼓を並べて、「橋の日揺れ太鼓」なる祭をやるというから、考えただけでもう1分寿命が縮む。

谷瀬の大橋腰が引けている。

役所訪問
今回、十津川村のお話を伺ったのは増谷さん。増谷さんはご出身もこの村。中学生時代は、村内在住であっても学校が遠すぎて、宿舎に入って生活したそう!(現在はスクールバスが通っています。)想像を絶する山奥。人はよくもこんなところに住んだものだ。

十津川村の秘境っぷりば、今に始まったことではない。この村は、平安より昔からその住環境の厳しさを認められ、「免租の地」(=年貢を納めなくてよい土地)として、自給自足の生活を営んできた。明治時代になるまで、ある種、中央から独立した村落共同体だったようだ。

十津川の山々また、なぜかはよくわからないが、昔からこの土地は神話にも現れ、十津川の人々は朝廷に遣えてきたらしい。壬申の乱の時に天武天皇をお守りしたことで、年貢を免除されることとなった、という説もある。以来、勤王思想(或は免租の決定権がある君主に対する忠君の思想)が強く、京都で何かあれば駆けつける十津川郷士として知られるようになった。皆、百姓のはずなのに、十津川郷士は名字帯刀しており、武士として、日々、武術の稽古にも励んでいたそうだ。増谷さん曰く、今でも剣道は必修科目なのだとか。

神谷さんとゆるキャラも郷士君(写真のバッグのイラスト)。ちなみに、坂本龍馬が近江屋で殺害された際、犯人は十津川郷士を名乗った、という話は司馬遼太郎の街道を行くで読んだ覚えがある。それだけ信頼の厚い存在だった模様。

そんなわけで、農業をするにも林業をするにも、非常に厳しい土地だった十津川村では、産業という産業が育たなかった。他方、急峻な山塊で災害には事欠かないし、どれだけ土砂崩れ防止をしても、しすぎることはない。駐車場ひとつ建設するにも崖っぷちでの大工事が必要だ。そのため、現在では土木工事があらゆるところで行われ、人々の生活の糧となっているようだ。

土木工事

土木工事2

道の駅 十津川郷
役所横に、道の駅がある。道の駅としてはこじんまりしているが、川を眺めながらお食事ができるようになっていたり、けっこう十津川オリジナル商品を売っていたりするのでおすすめ。というか、ここしかないといっても過言ではない。

十津川の名産といったら、「ゆうべし」という郷土食が有名らしい。ゆず皮の中に、味噌やごま、を詰め込んだ保存食で、なかなか強烈。ネタとしては良質だが、全て食べきれる自信がない。おすすめはゆずこんにゃく!私たちが通りかかったときは駐車場の露店であったかいのを売っていた。手づくりこんにゃく特有のぶりぶり感と、弾力、柚子の香りに、しみ込んだ出汁の味。通りかかるたびに買って、合計3本も食べてしまった。

ゆずこんにゃく

それから、目を見張るほどおいしいことから名付けられたという「めはり寿司」。これは、野沢菜付けの葉っぱ部分で包んだご飯。素朴ながら、これも美味しかった!夜になると、十津川のお店は殆どしまってしまうので、お昼のうちにめはり寿司を購入しておくとよい。ちなみに夕方行ったときには売り切れだったので、みつけたらすぐ買うべし!!

めはり寿司

果無集落(はてなし)
意外と知られていないが、十津川村には世界遺産登録されている「道」がある。世界遺産認定としてはサンティアゴ・デ・コンポステーラと並び、世界に2つしかない道認定なのだとか(2014.10現在)。高野山と熊野神社を結ぶ祈りの道、熊野古道の一つである「小辺路」が通っているのだ。めはり寿司を携え、その道沿いの果無という集落を訪問。

果無集落家の庭先を熊野古道が通っている唯一の場所らしい。そこに住むおばあちゃんが、軒先を旅人に解放してくれているから有り難い。山水の湧き水も旅人が飲めるようになっている。

果無集落のおばあちゃんずっと森の中を抜ける古道がここでパッと開ける。尾根を切り開いてつくった自給用の一反の田んぼと、花壇のような小さな畑。ここから山々を眺めると果てしなく山が連なって見えるため、果無集落という名が付いたのだとか。この石畳を踏んだ行者さんたちは、この景色にどんな気持ちがしたんだろう。綺麗だけど、げんなりしたんじゃないかなぁ…。

果無集落2

玉置神社(たまきじんじゃ)
次に向かったのが、果無集落からいくつか山を越えたところにある、玉置神社。駐車場から徒歩10分ほど歩いたところに本殿がある。周辺には樹齢数百年の杉の巨木があちこちにあり、空気が冷たい。縄に垂れている紙垂(しで)が、風でカサカサ音を立て、何か気配を感じる静けさが広がる。

玉置神社
建立は紀元前37年、崇徳天皇の頃。それ以来、熊野から吉野への修験道の行場の一つとされ、平安時代には熊野三山の奥院として栄えたところだという。古い本殿の木材の色は禿げ、色あせてかさついていて味がある。

玉置神社
本殿の裏手にあるご神木。駐車場横の休憩所で聞いた話では、とある樹木医の診断により、地区の人の了解もないまま、ご神木についていた宿り木が取り払われてしまったらしい。ご神木には手を入れてはならないというしきたりを破ったため、ご神木が死んでしまうのでは、と懸念されているようだ。詳しい情報は休憩所内で閲覧可。

杉の巨木

十津川の源泉かけ流し宣言
そしてそして!十津川を訪問することで、密かに楽しみにしていたのが温泉!!十津川は日本で初めて「源泉かけ流し宣言」という声明を発表した自治体宣言の名の通り、十津川の全ての温泉が源泉かけ流しである。つまり、塩素消毒や循環風呂ではなく、湧いたお湯をそのまま湯船に入れてそのまま捨てているということ。え?温泉て全てそうじゃないの?!と思っている、そこのあなたぁ〜っ!!!意外と源泉かけ流しの湯は全国で見ても少ないのですぞ。

今回私たちが行ったのは、星の湯と滝の湯。星の湯(炭酸水素塩泉)は広々、ゆったりできる。併設のホテルに宿泊すれば満点の星を眺めながらの入浴が楽しめるらしい。

星の湯

滝の湯(単純泉)は中心部からほど近い。露天風呂が滝のすぐ脇にあり、内風呂からかなり階段を下りていく。どちらも無色透明の湯で、さほど強いお湯ではないけれど清潔で気持ちよかった。同じ十津川でも泉質が異なるので、温泉好きはWEBサイトで要チェック。

滝の湯(出典:上下とも十津川村観光協会

おもしろかったのが、神谷さんが教えてくれた、源泉かけ流し秘話。もともと、十津川村は当然の如く、全て源泉かけ流しだったそう。それが、3セクの施設ができて、当時最新の技術とされた高価な循環装置を導入。それが、温泉博士こと松田教授が講演に来た際、「なぜ源泉かけ流しにしないのか。」と尋ねられ、ビックリ。初めて源泉の価値を知り、慌てて元に戻したのだそう。日本にあと何軒、流行に載ってか、コンサルにだまされてか、かようにわざわざ循環風呂に切り替えた温泉があることだろう。その他、あまたの不運な温泉施設も、できることなら源泉に戻してほしいものだ。

無形文化遺産の盆踊り
日本全国の温泉施設に想いを馳せている間に、すっかり日が暮れてしまった。十津川を川霧が包み、幻想的な風景がどこまでもひろがる。今日はラッキーなことに、盆踊りの日と重なり、国の無形文化遺産となっている西川地区の盆踊りが拝見できるという!(その他の地区でもそれぞれ異なる盆踊りが残っているらしい。うち、2つが国の無形文化財登録を受けている。詳しくはこちら。)

夕刻の十津川
真っ暗闇の山道を何分走っただろう。到着した頃には雨が降り始めていた。どうやら体育館に場所をうつしてお祭りをやっているようだ。ちょうど、盆踊りが始まるところだった。わらわらと、焼きソバなど食べていた子供や大人が整列し、どこからともなく扇子を持って、歌と太鼓に合わせて踊り始める。

盆踊り
丸くなって踊る一般的な盆踊りではなく、列を崩さず、一人一人のポジションが決まっているタイプの踊りである。それは明らかな特徴として見て取れたが、その他の無形文化財的要素は、素人目には見つけ出すことができなかった。そんな、飾り気のなさの中にこそ、先人達から受け継いだ何かが隠されているのだろうか。

そろそろ帰ろうか…と靴を履いた。が、「どうぞどうぞ。中で撮ってください。みんなカメラには慣れていますから。」と地区の人に言われ、再度中に入ってパシャパシャ。カメラ慣れする程、取材が来るからにはやっぱり何かすごいのだろうか。それとも、実力はこれからなのだろうか!?とも思いつつ、次の予定に向かわなければならず、もやもやした気分で十津川村を後にしたのだった。
提灯方言すら独自の発展を遂げた(と、柳田国男が指摘しているらしい)この隔絶した秘境では、文化も濃厚に残っているだろうし、十津川郷士を輩出した独特のプライドもありそうだ。今回は民俗資料館も休館だったし、車で駆け回るだけで終わってしまったけれど、そんな、人々の暮らしの独自性を発掘していったら、すごく面白い村に違いない。

 


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