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らとちゃん

DAY62-2 重伝建・島根県大田市 鉱山都市世界遺産・石見銀山(大森銀山)と大正ロマン感漂う温泉津(ゆのつ)


朝の出雲大社参りを終え、一路島根県大田市へ。出雲から車でだいたい一時間程度で到着する大田市には、重伝建が2つあります。ひとつは「鉱山町」大森銀山(1987年指定)、もうひとつが「港町・温泉町」の温泉津(ゆのつ、2004年指定)。

どちらも、重伝建のカテゴリとしては珍しい部類なので、「商家町」や「在郷町」にちょっと飽きつつあった私たちはわくわくして向かいました。

大田市

島根県のほぼ真ん中にある大田市 wikipedia

大森銀山と温泉津は重伝建かつ世界遺産
というか、そもそも大森銀山と温泉津は世界遺産です。え?聞いたことないよ?という方もおられるのではないかと思いますが、要するに「石見銀山」のこと。最盛期には世界の約1/3の銀の産出したとも言われる石見銀山。当然、日本では圧倒的なシェアを誇っており、発見から現在に至るまで、この銀山を取り巻く複雑な歴史が展開されてきました。

この石見銀山、何の準備もなく訪問しても十分楽しめますが、お勧めはガイドさんによるツアー。石見銀山では「石見銀山ガイドの会」の方々が、「石見銀山観光ワンコインツアー」(詳細PDF)を運営されています。こういう場所はガイドさんのあるなしで全く理解度が異なるので、既に鉱山マスターあるいは単に山をお散歩したいというわけでなければ、ぜひご参加を。道中、おもしろマニアックなお話をうかがうことができます。

山根さん

ガイドしてくださった山根さん。この日は朝に出雲大社のガイドをこなし、午後から石見銀山を担当とのことでした。私たちと同じルート。

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石見銀山ガイドツアー
こちらは銀山公園にある立体地図。ツアーはここから始まります。

石見銀山の始まりは、鎌倉時代末期。

『石見銀山旧記』は鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に周防の大内弘幸が石見に来訪して北斗妙見大菩薩(北極星)の託宣により銀を発見したという伝説について記しており、この頃からある程度の採掘がなされていたものと考えられている。
―wikipedia 石見銀山

他にも、「遠くからみたら山が光って見えた」など、色々言われがあるようだけれど、ガイドさんに言わせると「鉱山の由来は秘密にされるので、本当のところはよく分かりませんね」とのこと。

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その後、銀の採掘がはじまると、地方領主の間で銀山をめぐっての争いが勃発。驚くことにこのころ、銀鉱石は沖泊(今の温泉津、津は「港」の意)を経由して朝鮮で精錬されていたらしい。現代の加工貿易もびっくりの壮大なサプライチェーン。ちなみに沖泊(現・温泉津)は、現在でも車で山を越えて20分はかかる道のり。思い鉱石を運び、そこから船で海外へ・・大変すぎる。

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しかし、海外での精錬もずっと続いていたわけではありません。1533年(戦国時代)には、神谷寿貞という猛者が朝鮮の銀精錬技術「灰吹法」を取り入れ、飛躍的に銀産出効率が高まります。と同時に、温泉津ルート(写真の銀山-沖泊ルート:前述の山越えルート)は廃れていったそう。

こうしてじゃんじゃん産出された石見の銀は、世界中に散らばって行きました。江戸期、その銀は日本国内の通貨として流通した上、当時の中国(明)、さらにはポルトガルとの交易にも使用されたそうです。

銀山の所有者は、大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏、そして徳川へと移っていくわけですが、当時どれほどこの銀山をおさえることが重要だったかは、関が原に勝利した徳川家康がいちはやく石見銀山に重臣・大久保長安を送り込み、幕府天領としたことからもわかります。

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ちなみに大久保長安は元武田家の家臣で、甲斐で金山開発に携わっていたという鉱山のプロフェッショナル*。着任後、銀の大増産に成功し、家康を喜ばせたとか。ただし活躍しすぎて、没後に全財産を幕府に没収されたという悲劇の人でもあります。

その際の罪状は「不正蓄財」だったのだけれど、政敵・本多一族に陥れられたというのが定説。写真は大久保長安ゆかりの清水寺(せいすいじ)。銀山最盛期には、こうしたお寺が100以上あったそうです。銀山で働く人たちの給与は高く、かなり裕福だったそう。ただし、寿命は当時の平均と比べても短く、30歳になると盛大にお祝いをしたそうです。

*大久保長安は江戸初期において国土交通大臣的ポジションでした。大森銀山だけでなく佐渡金山も担当し、東海道や中山道の宿場を整備、加えて現在の八王子・桐生といった町を整備したのも大久保長安。

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こちらが、間歩(まぶ)と言われる坑道の入り口。こうした間歩が大小合わせて500以上あります。石見銀山のマネジメント体制は、銀山奉行(行政)のもとに、大小様々な事業者がそれぞれ自らのリスクで開発を担っていた、という構造だったそうです。事業者にとっても、そこで雇われて働く人々にとっても、ハイリスク・ハイリターンな銀山の仕事。彼らがそれぞれ夢を追いかけ、銀鉱脈を求めた跡がこの間歩なのです。

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今回は、この「龍源寺間歩」を案内してもらいました。比較的大きい間歩である上に、整備されているので中を歩くことが出来ます。

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頭を低くしながら間歩を行く。

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写真ではほとんどわからないけれど、黒く筋が伸びている部分が銀の鉱脈。これを目印に、掘り進んでいったらしい。ガイドさんはさすがで「これも、それも」と銀脈を指摘するのだけれど、素人にはちょっとわかりにくいものも多かった。やっぱり案内人の存在は大事です。

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間歩の出口付近に掲示していある絵。古文書から抜き出してあるみたいだけど、絵柄がポップでちょっとかわいい。手に持っている灯りに注目。これは、サザエの貝殻に油をいれて懐中電灯のように使ったもので、「螺灯(らとう)」と呼ぶもの。間歩の中では天井から落ちてくる水滴や風で火が消えないように、こうして手の甲を前に向けてキープしていたらしい。

らとちゃん

らとちゃん 大田市WEB

そこでようやく分かったのが、このご当地キャラ「らとちゃん」の由来である。「なぜ、石見銀山にサザエの壺焼キャラが・・・」と思っていたのだけれど、螺灯を模したキャラだった模様

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見どころたくさんの石見銀山、ガイドツアーからの帰り道により道して、清水谷製錬所跡を案内してもらいました。明治時代、巨額の投資とともに設営されたこの試練所。ところが産出結果がいまいちだったらしく、一年半で閉鎖となってしまったそうです。兵どもが夢の跡。

夢の跡といえば、石見銀山自体がながらく忘れ去られた場所であったそう。ガイドさんいわく「昔は誰も見向きもしないし、もちろん訪問する人なんていない場所だった」。その風向きが変わったのは、比較的近年のことだそうで、本格的に観光客が増えたのは世界遺産認定後だったとのこと。

世界遺産認定にも面白い話がありました。申請当初はユネスコに「あんまり普遍性がないのでNO!」と言われたものの、そこで引き下がることなく担当者たちは「自然と調和した石見銀山は世界に類を見ない鉱山遺産である」とアピールしたそう。多くの鉱山は掘りまくった結果、ハゲ山になってしまうわけですが、石見銀山は昔から森林の持続性を考慮し、伐採した分だけ別の場所に植林するといった取り組みが続けられていた。こうした「文化」が、ユネスコ委員の心に刺さったそうです。その結果めでたく(?)世界遺産登録へ。

カリアーリ

銀山ツアーの後は、大森銀山のふもとの町並み(重伝建指定地区は、鉱山跡じゃなくてこの部分)を散策。ここには、「日本でここにしかない」カフェ、カリアーリ(Caffe CAGLIARI)があります。

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普通、海外のカフェブランドの日本展開と言えば、東京は表参道や渋谷あたりからスタートして徐々に広めていきそうなものですが、カリアーリの直営店はここ、大森銀山1店舗のみ。いくつも候補物件の写真をイタリアのカリアーリ本社に提案したところ、「そこならカリアーリのお店を出してもいいよ」と承諾されたのが、ここ大森銀山に位置する古民家であった現店舗。ちなみにこの古民家、熱烈にカリアーリを口説いた現社長のご家族の実家だったそうです。

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・・・というお話を聞かせていただいた、フレンドリーな店員さんと。都市部からこの地へUターンし、カリアーリでコーヒーを飲んでいるうちに、いつのまにか店員になっていたそうです。気持ちはわかる気がする。

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こちらがカリアーリのあるメインストリートのまちなみ。人やお店も多すぎず、とても落ち着いたいいところ。

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この通りには、もうひとつ有名なお店「群言堂」があります。いくつかお気に入り(coinacaサポーターのためのプレゼント)を見つけてごきげん。

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その後は一路、かつての沖泊、現「温泉津」へ。ひなびた港町に突然、明治大正の空気が漂う温泉町が出現。

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銀材初期の運び屋さんたちも、ここでひとっ風呂浴びたのだろうか。などと思いつつ、写真右側の「薬師湯」にトライ。歴史ある「元湯」も良かったけど、ついつい下の宣伝文句につられました。

薬師湯は、温泉津にある世界遺産の温泉で、日本温泉協会の天然温泉の審査で最高評価の「オール5」を受けた100%本物のかけ流し湯温泉です。自然湧出で源泉脇。しびれるような心地良い「生の温泉」は、体を芯から温めてくれ、免疫力アップや未病対策に好評です。オール5は山陰では薬師湯だけです。(2011年1月時点)
-薬師湯

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薬師湯 yunotsu.comより

湯船もかなりパンチが効いている。

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ちなみに泉質だけでなく、建物もかなり独特。2階は洋風な内装となっており、一室には酸素カプセルも配備。

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屋上はテラス席。この時間にはもう真っ暗になっていたけれど、昼に行ったらよい眺めが味わえるのかもしれない。

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お腹が空いてとぼとぼ(お店はほとんど閉まっていた)歩いていると、なんと「カリアーリ」の文字を発見。1店舗だけではなかったのか・・?と入ると、カリアーリの豆をつかったコーヒーを出すお店でした。ここだけは夜遅くにも開いていたので、石見ポークをいただき、機嫌よく本日の宿(サービスエリア)に向かいました。


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