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DAY65 塩飽海賊の本拠地、重伝建・塩飽本島笠島地区で猫と遊ぶ


朝7時、コンビニでホットコーヒーを調達しつつ、香川・丸亀港からフェリーで塩飽本島へ。この島「しわくほんじま」と読む。なんだかちょっと収まりが悪い気がするのは、「ほんじま」という訓音をごっちゃにした部分のせいかもしれない。

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なお、島そのものの正式名称は本島(ほんじま)。ローカルの人も「ほんじま」と呼ぶ。けれど、「本島」なんて広く見ればありふれていて区別がつかないので、一般的には「塩飽本島」と呼ばれているようだ。

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marugame.town-web.net

本島が属する「塩飽諸島」について少し。名の由来は「塩焼く」、あるいは「潮湧く」と言われる塩飽諸島は、大小28の離島で構成される。瀬戸内海の要所らしく、戦国時代には塩飽水軍が活躍し、信長・秀吉・家康へは積極的に協力した。(DAY76では村上水軍の末裔(?)の会議に参加した)

そういうこともあってか、江戸時代には「人名(にんみょう)」と呼ばれる代表による自治が認められている。離島には今でも独特の文化があるが、当時から相当独立独歩の精神があったに違いない。

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そんな塩飽水軍(の末裔)も、江戸時代中期に大阪の廻船問屋に運行権を奪われる。商人の時代の到来を感じさせる出来事だ。仕事に窮した塩飽水軍の末裔たちは、船大工としての腕を活かして家大工や宮大工へと転身、塩飽大工と呼ばれ瀬戸内海周辺で活躍した。

当時の文献には、「島内で暮らしを立てるのは難しく、男子は十二、三歳から他国で水夫をしたり、多くは大工職として近国に出稼ぎに出た」とある。社会・経済の変わり目に、島民の生活も大きく変化したのだ。

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咸臨丸 wikipedia

度々歴史において登場する塩飽の人々。それほどかつては海路が重要だったということだが、グローバル化の時代にも一役買っている。といっても最近のことではなく、幕末のことである。1860年、日米修好通商条約のため太平洋を横断した咸臨丸の水夫は、50名中35名を塩飽の島民が占めていたそうだ。当時の太平洋横断は、それはもう大変だったらしい。

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塩飽本島地図 丸亀市WEBサイトより

丸亀から塩飽本島までは気楽な30分のフェリーである。周囲12キロの小さな島なので、車で渡る必要はない。島内の移動は自転車がオススメ。港の横の待合所でレンタサイクルを借りることができる。一周しても3時間くらいだということだが、僕らは島の東側を北上し、重伝建地区である「笠島地区」へ向かった。

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いい感じの道を走る。車もそれほどおらず快適。

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途中には謎のアートワークがあった。看板を読んでみると、現役の塩飽大工とともに創りあげた作品だそう。

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アートの横には、珍しい「埋め墓」が。掃除をしていた方に一言断って、写真を撮らせていただいた。両墓制といって、集落から離れたところに遺体を埋葬する「埋め墓」をつくり、それは別にお参り用の石塔「詣り墓」を集落の近くに建てるという風習がある。

古くは近畿を中心によくみられたが、今では離島にしか残っておらず、特に自然石で埋め墓をつくる昔ながらのものは珍しいとのこと。いわゆる「普通のお墓」は、この埋め墓と詣り墓が一緒になったものなのか、と納得。

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15分くらい走ると、笠島に着く。

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ここからは徒歩でまちを巡る。

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集落を歩いていてもカニがたくさんいる。さすが港町。

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かなりきっちり整った町並みである。これが塩飽大工の仕事か。

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技がありすぎて不思議なこて絵(漆喰細工)まで作っている。でかい。本当は両目が光るようになっているらしい(本当)。

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ほとんどの家が本瓦(平瓦と丸瓦を交互に並べてふいた屋根、筒みたいなものが見えるやつ)、壁は炭のようになった真っ黒の板壁(名称がわからない)。

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しかし、このまち最大の売りポイントは猫ちゃんである。美しい街並みのそこかしこで思い思いに過ごすニャンスクたち。しばし塩飽本島ねこギャラリーをお送りします。

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路上からこっちをみる子猫。

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カゴの中の猫。

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床下?の子猫。

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とにかくたくさんネコがいます。

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ちょっと上品そうなネコ。

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警戒中。

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謎のマッチョ通り。

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丘の上から、町並みを望む。

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帰路、港を行き過ぎてフェリーを乗り過ごしたので、塩飽勤番所(しわくきんばんしょ)へ。ここはかつて島を統治した人名がいた場所、いわゆる役所で、いまは資料館となっている。

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ここで必見なのは、朱印状(朱印を押した公的文書)である。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の朱印状がみられるほか、「朱印状がどのように保管してあったか」を確認することができる。ちなみに朱印の前は本人直筆のサイン(花押)だったのだが、戦国時代、大量の公式文書を発行する必要があったため、大名の手を煩わせずとも公式文書を発行できるように、徐々に朱印・黒印が使われるようになったそうな。

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相当大事にされていた様子がわかる。

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これらで幾重にも包む。ここまではわかるのだけれど、さらに・・

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この石櫃に入れる。これごと盗むことはまず不可能であろう。

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それをさらに朱印状専用の特別あつらえの蔵に保管。江戸時代の人名にとっては、「幕府によって任命されている」ということが、自らの正統性を示すものであった。その彼らからすれば、朱印状そのものが、まさに権力の源泉であり象徴である。天皇家にとっての三種の神器のようなものだ。そりゃあ大事にするのもよくわかる。

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昼前のフェリーで丸亀に戻る。お腹がすいたので、ちょっと走ったところにある川そばのうどん屋へ。

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安くておいしい、讃岐のうどん。

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続いて2件目、山の上のうどん屋さんへ。お腹いっぱい。

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