© coinaca/コイナカ All rights reserved.

錦帯橋1

DAY77-1 よりみち岩国 武蔵と小次郎が今もしのぎを削る、サムライ泣かせの錦帯橋と白蛇のまち


四国からしまなみ海道を経て、山口県へ。重伝建・柳井へ向かう道中、岩国を通り過ぎたので、ちょっと寄って行くことに。

山内県岩国市錦帯橋

岩国と言えば、錦帯橋(きんたいきょう)が有名。今回の旅は有名観光地を避けているのだけれど、かつて祖父に見せてもらった白黒の錦帯橋の写真を思い出して、立ち寄ってみたくなった。地図をみるとわかるとおり、高速道路からほど近い岩国は、立ち寄りやすい。だから、大型バスが道を占拠しかねない勢いでやってくる、一大観光地になっているのだろう。

岩国は山口県なのだけれど、地理的には東の端っこにあり、ほとんど広島県。西の端にある下関だけでなく、萩や山口市よりも、湾を挟んで隣り合う江田島や呉、広島市のほうが断然近い。

錦帯橋1

こちらが錦帯橋。僕らが訪問した際は修理中とのことで、完全体・錦帯橋を拝むことはできなかったけれど、それでも天気がよい日にこの橋を眺めるのは気分がいい。橋もさることながら、過剰な護岸整備をされることなく、鮎釣り師が佇む錦川(錦帯橋がかかっている橋)がとても美しい。

錦帯橋遠景

錦帯橋はかなり大きい。この橋をみて直ちにわく疑問は、いったい誰が、何のために、これほどに豪壮な橋を架けたのか、ということである。錦川は、渡し船が流されてしまうような激流にはみえないし、川幅は広いものの、橋が架けられないほどの大きさでもない。

錦帯橋2

調べてみると、錦川は山口県最大の河川であり、かつ昔は大変な暴れ川だったらしい。川もみかけによらない。1600年、関ヶ原後の領地替えで岩国に移封された吉川広家は、錦川を隔てて、山側に岩国城と上級武士の居住区を、反対側に中級武士以下のための城下町をつくった。防御を考えてそういった面倒なつくりにしたものの、中級武士以下の面々は、出勤のたびに橋をわたらなければならない。でも、橋は洪水のたびに流されてしまう。。

なんだか暴風警報発令にもかかわらず出勤せねばならないサラリーマン&ウーマンの切なさを感じさせる逸話である。まぁ、出勤でないなら仕方なかけぇ、とでも思っていたに違いない岩国藩士たちに、思いもよらぬミッションが舞い降りた。それが、中国の最新技術を取り入れたアーチ橋の建造である。

錦川にかかる橋が度々流れた理由はこんな感じだ。

橋が度々流失する最大の要因は約200mという広い川幅と、急流になりやすい川の形状にありました。城下町付近で流れの向きは、何度も大きく変化していました。また、川床には砂利が深く堆積し、そこに建てられた橋脚は、激しい流水に耐えることができませんでした。また、当時の藩の技術者は大きな橋を架設した経験に乏しく、砂利にしっかりした橋脚を築く技術もなかったと思われます。

そんな折、当時の藩主・吉川広嘉は、侍医である明国の僧、独立(どくりゅう)と出会う。独立の「明国の杭州には、アーチ橋なるものがありますぞ(と言ったかどうかは想像)」という話を聞き、絵巻物を取り寄せた広嘉は、さっそくアーチ橋の建造を命じた。藩士はちょっとがっかりしたに違いない。

sahie

吉川広嘉がみたらしい「西湖志」の挿絵

しかしながら、初代錦帯橋(当時は単に大橋、と呼ばれていたそうな)は、翌年あっさりと激流に呑まれ消え去ってしまう。位の低いサムライたちの静かな歓声が聞こえる中、くじけない藩主は二度目の建造を命じた。

Unusual_Views_of_Celebrated_Bridges_in_the_Provinces-Suou_No_Kuni_Kintai_Hashi

葛飾北斎の手による錦帯橋。今よりずっと細い。

そうして完成したのが二代目錦帯橋。この二代目は、いくどかの修復・補強を経て、なんと延宝2年(1674)の再建以来、昭和25年(1950)年まで、276年に渡って錦川の激流に耐え続けたのである。1950年には、キジア台風という、相当強烈な台風が岩国を襲来したらしい。しかしそのころには、橋の倒壊をよろこぶサムライはもはやこの世には存在しませんでした。(もしかすると僕の想定よりサムライはずっと真面目だったかもしれないけど)

さて、高度成長期にはいらんとする中での修復。当然ながら「もうコンクリートの橋でいいじゃん、これ車通れないし」となるわけですが、地元岩国の人々は粘りました。近代的な改良をみえない部分に加えることで、ほぼオリジナルどおりの錦帯橋を復活させたのです。伝統を全て消し去りそうな勢いで進んだ土木祭りも及ばないほど、やはり錦帯橋は美しく、地域の人達に愛されていたのでしょう。

武家屋敷

錦帯橋を渡った先では、上級武士がかつて住んでいた跡地に武家屋敷や公園が整備されている。武家屋敷も、一風変わった屋根など独自のデザインがあってよい。

つばめがえし

川べりには、「ここで佐々木小次郎が秘剣・つばめがえしを編み出しました」という場所がある。

こじろう

そことはちょっと離れたところに、佐々木小次郎の凛とした銅像もある。

小次郎は小説

とはいえ、それは小説の話である。しっかりと注意書きがしてあるところがよい。けれど、架空だってわかっているのに、銅像まで作ってしまうのもいかがなものか。

吉川英治の小説『宮本武蔵』では、現山口県の「錦帯橋」を、小次郎が「燕返し」を編み出した場所としている。実際にはこの橋は「巖流島の決闘」の60年後に作られたもので、その「燕返し」は「虎切」と呼ばれる剣法の型であり、すべて吉川の創作である。wikipedia:佐々木小次郎

むさしとこじろう

なお、風情ある錦川を3代目錦帯橋を経てあちら側へ渡ってすぐのところには、例によって極彩蛍光色に彩られたお土産・食事屋が立ち並ぶ。ここでやたらと目立つのは、100種類のアイスクリームを提供するという「佐々木小次郎商店」である。

人工系奇食には飽きているのでスルーすると、直後に出現するのが「アイスクリーム専門店・お食事処 むさし」だ。あまりのことに写真を撮り忘れてしまったが、こちらにも奇妙なフレイバーのアイスクリームが立ち並び、佐々木小次郎商店と巌流島以来のしのぎを削りまくっている。

IMG_8414

そういえば、岩国には白蛇がたくさんいるらしい。写真は自粛します。

JaIwakuni1IwakuniSushiAj01CR

岩国寿司:wikipediaより

あと、僕らは食べそこねたけど岩国寿司なるものがあるそうです。その昔、地元でとれるものでつくった保存食・携行食だったとか。

2,3人前ずつ一層で作られる通常の押し寿司と異なり、一度に3升から1斗入る大きな木枠の中に、サワラやアジなどの生魚の身をほぐして混ぜ込んだ酢飯の上に春菊などの青菜、岩国名産の蓮根、椎茸、錦糸卵などをのせ、これを何層にも重ね、サンドイッチ状にし、重石でしばらく押し固め、木枠を抜いて、一人前サイズに切り分ける作り方である。wikipedia:岩国寿司

一息ついて、重伝建・柳井に向かいます。


キーワード,



関連記事

原山地区

DAY45 美しい村連合・京都府和束町1 桃源郷ならぬ”茶源郷”の美しい景観はボトムアップ&チームワークの賜物だった

京都府和束町(わづか)。そもそもこの字を「わづか」と読めなかったし、これまでに聞いたこともなかった。ただ、静岡出身 お茶好きの私としては、や…

おばばのお話

DAY93 美しい村連合・宮崎県椎葉村 クニ子おばばと不思議の森へー大切ななにかを思い出せる場所

「クニ子おばばと不思議の森」というNHKスペシャルの番組を見て以来、いつかは訪問してみいと思っていた村、宮崎県 椎葉村(しいばそん)。宮崎県…

藤原さんと2

DAY29-2 美しい村連合・長野県南木曽町 町並み保存のパイオニア妻籠宿で学ぶ

長野県南木曽町(なぎそまち)にある妻籠宿は中山道の42番目の宿場として栄えた町。そしてここは、南木曽町が美しい村連合に加盟するはるか昔から、…

田尻家

DAY56 美しい村連合・兵庫県香美町小代地区 99.9%の国産黒毛和牛はここから生まれた!和牛のふる里の人々は温かく親切だった 

美しい村連合 兵庫県 香美町小代(おじろ)地区。ここは珍しく、地域自治区単位で連合に加盟している。2005年の3町合併(美方町、村岡町、香住…

倉吉歴史講談

DAY59-1 重伝建・鳥取県倉吉市 「歴史講談」で味わう淀屋百年の計と白壁土蔵のまちなみ

鳥取県倉吉市、打吹玉川(うつぶきたまがわ)。赤瓦と白壁土蔵で知られるこの地区は、1998年に「商家町」として重伝建に指定された。この倉吉地区…

ページ上部へ戻る