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20167/25

DAY4 イタリアのアルベルゴディフーゾ、アグリツーリズム巡りー Fattori Faggiori アグリツーリズムの父に会う


4日目はいよいよ、唯一事前にアポを取れていたエミリアロマーニャ州にあるFattorie Faggioliへ(以下「FF」、日本語でファッジョーリ工房というような意味らしい)。以前イタリアへ留学していた友人が、一度インタビューに同席したご縁でお勧めしてもらった場所だ。アッシジから約2時間。途中、またも美しい村に寄り道したり、性能の悪いナビに悩まされて迷いつつ、夕方頃に到着。一度は公共交通機関で全部回れるのではないかと思ったイタリアの旅だったが、やはり、アグリツーリズムをやっているような場所は非常にアクセスが悪いし、車のが寄り道ができるので、できることなら車を借りた方がよいと思う。

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さて、ここを訪れた目的はFFの設立者ファウストさんにお話を伺うためだ。ファウストさんはイタリアのアグリツーリズムの基盤をつくったメンバーの1人。ファウストさんは、1989年に宿を始めた。といってもその頃はまだそのような概念はイタリアになく、類似した取り組みをオーストリアから学んだそうだ。ファウストさんは、19歳でドイツ系グローバル企業に就職し、営業部長を11年間務めた。とてもやりがいのある仕事ではあったが、グローバル経済の歯車として、この先どのように生きていきたいか考えた時に先がみえなかった。地元のコミュニティの存続の方が自分にとって意味があるものと考え、会社を辞め33歳でここクセルコリに家を買う。もともとはここから30kmほど離れた町の出身で、そんなに遠くないのに、一度地元をでてグローバル企業に勤めてもいたこともあり、最初はよそ者扱いされた。

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まず、現在のFFのような地域の経済循環を生み出し、コミュニティを強化するような宿泊施設をつくりたいと、町の人に自分の考えをプレゼンして回ったが、無鉄砲でクレージーな奴だとしか言われなかった。同時に、町にどのような資源があるのかを聞きまわってリサーチし、どう組み合わせると価値があるのかを考えた。最初の最初はお金もないのでパニーニ屋さんとして開業し、お金をなんとか稼ぎながら準備をした。

時を同じくしてイタリアの政府でアグリツーリズムの法整備が始まった。1960年代からイタリアの農業の衰退が進み、その経済的な救済措置として位置付けだ。イタリアの農業がGDPに占める割合は3%(日本は1%以下)とそんなに大きくないように見えるが、自給率は8割程度あり、その加工品まで含めると15%にまで登るという国家にとって重要な産業と言える※11985年にアグリツーリズム法が施行され、 1987年にはエミリアロマーニャ州でも採択された。FFにそのパイロットプロジェクトとして一緒にやりましょうと声がかった。この法律の正確な内容は要調査だけれど、ファウストさんのお話からすると、旅館業方の規制緩和で、農業法人が食事と宿泊を提供しやすくするものだったようだ。

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(ファウストさんのお話にはなかったが、後日調べてみるともともと60年代からトスカーナ州の民間団体でアグリツーリズムが開始され条例化されていた。後追いする形で政府としても法整備をすすめ世界で初のアグリツーリズム法となった。それでも90年代までは1週間以上の長期滞在客に限っていて、この点では現在の日本の民泊をめぐる論争と似たものがある。しかしさすがイタリア。食事にこだわる宿が現れ始め、1泊の単価が上昇したことから滞在期間の規制が緩和され、現在では1泊から泊まれるようになっている※2

現在、アグリツーリズムの宿は約2万軒程度(日本の民泊は約2千軒※2)、ほとんどが家族経営で、50%以上は女性が切り盛りしており、これまで力仕事が多かった農家にホスピタリティという女性の得意分野を生かした副業ができるようになった効果は経済的にも精神的にも大きいという。イタリア全土の宿の総数の5%とほんのわずかだが、年間110億円の経済規模まで成長している※2

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価値観の変化と地価の上昇

「価値観の変化も非常に早く起きている」と、娘のフレデリカさん。彼女は国際NGOに勤務しており、アメリカ人の旦那さんとお子さんを連れて2ヶ月前にUターンしてきた。10年前であれば、USから帰って来ると聞いて、周りの人の反応は「なんでこんな片田舎に帰って来るの!?」というものだったが、現在ではむしろUSに未来があると思っている人は減ってきており、理解を示してくれる人の方が増えたそうだ。

フレデリカさん自身も、こんなど田舎で生まれて反抗期は町に行きたくて仕方かなった。しかしその後、このような農場での素晴らしい暮らしの価値に気づくようになった。特に、田舎だとsocial lifeがないから都会に行きたいという意見が多い。けれどもここにいれば、世界中からの視察やゲストたちなのでと会うことができ、むしろここの方が刺激が多いくらいだと語る。FFは特別かもしれないが、国内外、それも途上国から先進国まで研修旅行で民泊の仕組みや思想を学びに来る人が後をたたないようだ。国際NGOで働いていたフレデリカさん夫婦は、この機会を生かして、さらに新しい価値の創造はできないか考えているところだという。

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現在、世の中の多くの人がお金ではなくwellness baseで考えるように変化しているという。しかし、ファウストさんがFFを始めた頃は、田舎の価値を理解してもらうのは難しいことだった。どのようにこの変化が起こったか。例えば50人の都会人がここへバスでやってきて、降りて深呼吸し空気がおいしいということは誰にでもすぐわかる。また、それを聞いた地元の方も、自分たちの価値を理解していった。ああ、私たちは恵まれているのだと。やがて、そのように体験した人達の口コミで評判が広がった。500人が来てくれればそれは1500人に広がり、またそれがというように。

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教育ツアーではエネルギーのことも説明する。オリエンテーリングのゲーム用に番号札がいろいろなところにかかっていた。

わかりやすいよう、最初は教育的な要素を多くんだツアーに力を入れた。現在でも、都市の学校の受け入れを行い、農村文化体験のコースを提供している。ミラノやローマから小・中学生が来る。小麦をひき、パンを焼いてみるなど、もう体験できなくなってしまった昔の人のしていた暮らしを再現し、体験重視のコースだ。残念ながら田舎の小学校では自らの文化を学ぶということに取り組んでいる例はまだ少ない。現在では他地域のプログラムの作成も行っている。自分の故郷について学ぶことは、その土地への愛着へもつながり持続可能な将来にとって非常に重要なことなので取り組みたいと、まだまだやりたいことがたくさんあるようだ。

もちろん、継続してプロモーションにも力をいれている。一定の固定客がついている現在でも、町や夏のビーチでの催し物に積極的にでていき、自分たちのやっていることを話す。その際、パンフレットを手渡し握手するのが大切。握手した人は親近感をもってくれ、訪問してくれる率が高まる。誰も知らないと、こんな田舎に来るハードルは高いが、誰かを知っていると来やすくなる。そうやって文化を変える。

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こうして田舎の位置付けが徐々に変化し、移住も増加してきた。医者や弁護士などインテリ層も田舎に移住し始めている。クセルコリの人口はもともと15,000人(1950-60)だったのが、10-15年のうちに一時期3,000人にまで減少。ここ40年ほどで4,500人にまでゆっくりと回復してきた。最近では空き家を探すことも難しいほどで、地価も上昇している。現在のFFの建物は2003年にスケールダウンしたもの。もっと大きな農場を、この丘のもう少し上の方に持っていたが、それをビジネスを継続してくれる人に売却し、こちらを購入した。この部屋(食事をする部屋)も宿泊棟ももともと空き家になっていたところを改修したものだが、売価が上昇していたため資金はそれで賄えた。

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成功の秘訣はコミュニティのつながり

しかし、地価の上昇がファウストさんの成功の結果ではない。ファウストさんは、何よりコミュニティが大切と繰り返していた。何も一人では成し遂げられない。collective intelligenceでみんなのナレッジを使いながらプロジェクトを作り上げていくのが成功の秘訣だと。関わっている人間が皆関わることで少しづつハッピーになること。

アグリツーリズムを始めたいと研修に来る人たちにも、地域にいる多様なプレーヤーをつなげることの重要性を強調している。具体的には集まって話し合いをすることも重要だし、またプロジェクト実行段階でバリューチェーンの全てにプレーヤーを組み込めるようにすることなどをしている。例えば、今度アジアからあらあ棚木材の輸入を開始しようとしているけれど、それを着る人、加工するか愚直人、葉っぱを動物に食べさせられるかなど、各工程が地域のローカルビジネスに寄与するように設計している。

現在の課題として、アグリツーリズムが法的に定義はされているが、定義が広いので5スターホテルが田舎にでてきているような例もある。これはAssisiのMarverinaでも似たような課題意識をもっていたことだ。もちろん、エコシステムとして、それも必要だろうが、ファウストさんは、それでは本来のアグリツーリズムではないと考えている。そのため、現在新たにこの地域では「ルーラルホスピタリティー」という基準を設けようとしている。そこでは、本業は農家であること、またゲストルームは9つであること、そして手料理を出すことなどの要件を加える予定であるという。

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ファウストさんは、もちろん経験もあるだろうが、とても芯の思想をしっかり持っている暖かい方だった。多様なプレーヤーを取り込み地域一丸となって取り組むことの重要性を主張していたけれど、彼の人徳やある種のカリスマ性でまとまっている部分もあるのかもしれない。

これに比べ、次に訪問したモンテセガレなどは行政が統率をとるパターンだが、果たしてうまくいくだろうか。このような事業化的な精神を持ち地域にコミットする人材の有無がものをいいそうだ。

※1 出所『地域づくりの新潮流』松永安光・徳田光弘 彰国社 2007

※2 出所『なぜイタリアの村は美しく元気なのか』宗田好史 学芸出版 2012


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